和陶磁器のお話 -2 伊万里 ―生活の中の美―
2006年 06月 28日
磁器が日本で生産可能となったのは約400年前、江戸時代初期です。この時代に多くの陶工が朝鮮半島から来日したことがその要因です。伊万里は現在の佐賀県にあるの港名で、ここから当地産の磁器が出荷されたことから「伊万里焼」と呼ばれるようになったそうです。
以前に知り合いの茶道具屋さんが「伊万里は所詮は雑器、座敷道具の茶道具とは格が違う」と、明らかに軽んじたような口ぶりに納得が行きませんでした。我々素人には分からないプロの見解があるのでしょうけれど。しかし、白州正子さんが著書の中で「茶道具だって民芸(雑器)からの見立て、何を持って上手(座敷道具)、下手(雑器)と分けるのだろうか」という趣旨のことを書かれているのを読んで、同感でした。千利休は普段使いの平凡な雑器にこそ美的価値を見出したのではないでしょうか?茶道具を高級品に奉ってしまうのは利休の志とは異なった方向に行ってしまっているのでは? こんなことを思うのは私だけでしょうか・・・
写真は直径約60cmの伊万里大皿です。裏には明治年製との記載があります。今では観賞用ですが、大家族の時代には大いに活用されたことでしょうね。鶴の羽が描かれているので、きっとおめでたい席で使われていたのでしょう。
以前に知り合いの茶道具屋さんが「伊万里は所詮は雑器、座敷道具の茶道具とは格が違う」と、明らかに軽んじたような口ぶりに納得が行きませんでした。我々素人には分からないプロの見解があるのでしょうけれど。しかし、白州正子さんが著書の中で「茶道具だって民芸(雑器)からの見立て、何を持って上手(座敷道具)、下手(雑器)と分けるのだろうか」という趣旨のことを書かれているのを読んで、同感でした。千利休は普段使いの平凡な雑器にこそ美的価値を見出したのではないでしょうか?茶道具を高級品に奉ってしまうのは利休の志とは異なった方向に行ってしまっているのでは? こんなことを思うのは私だけでしょうか・・・
写真は直径約60cmの伊万里大皿です。裏には明治年製との記載があります。今では観賞用ですが、大家族の時代には大いに活用されたことでしょうね。鶴の羽が描かれているので、きっとおめでたい席で使われていたのでしょう。
by twister203
| 2006-06-28 23:59
| アジア文化紹介